Aug 172018

地図の特異性

情報伝達手段としての地図に、どのような特異性があるのでしょうか。 ここでは、ロビンソン(Robinson,1978)の講演に基づいて紹介します。 まず、ロビンソンによると、地図とは、紙などの上に秩序をもって並んでいる様々な「記号」であり、言語との大きな違いは、その「記号」を読むのに特別な順序がなく、各自が好きなように読んで行えば良い、ということになっています。 また、地図に使われている「記号」は特異です。というのは地図作成者が記号に好きな意味を持たせることができるからです。たとえば,黒い点は町であり得るし,果樹や小麦の作付面積 500ha を意味するかも知れないのです。 そして、地図の記号は位置をもちます。各々の記号は他の記号との相対的な関係において,地図上で特別な位置を占めているのです。さらに、地図の記号は透明ではありません。これは知っている言語が,文字とか音を意識しなくても理解できるのに対し,地図の記号は意識して読まないと,情報を得ることが困難であるためです。 地図は映像の性質をもっています。われわれの考えの多くは概念的な空間の中で扱われるので,映像は言葉や思考に先立つものであり,より基礎的なものである。地図はそれ自体が空闘を表現しているものなので,映像形成に必要な要素は全て備えているのです。従って地図は非常に効果的な認知手段でとなり得ます。 最後に、地図は構造という性質をもっています。ここで言う構造とは,地図を構成している各要素が意味のある相互関係を持っていることを指します。この構造があるから他の手段では不可能な様々な情報が地図から読み取れるのです。

Aug 032018

光源の位置による地図投影法の分類

「三次元の立体である地球の表面を、二次元である平面の上に表現する方法」であるのが“地図投影法”。 三次元を二次元に映し出す際、映し出すための光源の位置によっても、映し出される地図が変わってくることから、これもあらかじめ決めておく必要があります。 よって「光源を“どこ”に置くかに注目する」という方法でも、地図投影法を分類していくことができるのです。 光源の位置を、地球のちょうど中心部分にとして表現する地図投影法は、“心射図法”などと呼ばれています。 地球内部のどこか(地球のちょうど中心部分を除く)に光源を置いて表現する地図投影法は、“内射図法”などと呼ばれています。 光源の位置を、投影面と反対側の地球表面として表現する地図投影法は、“平射図法”などと呼ばれています。 地球外部のどこかに光源を置いて表現する地図投影法は、“外射図法”などと呼ばれています。 光源の位置を、投影面と反対側の無限遠点(無限に遠いとされる点)とする、つまり平行な光が投影するような形で表現する地図投影法は、“正射図法”などと呼ばれています。 なお光源の位置や投影面の形状にもよりますが、映し出す際は基本的に一度に全てを映し出すわけではなく、既定の軌道の上で光源を動かしながら映し出していくこととなります。 また光源の位置によっては、全ての形状の投影面に対応することができたりできなかったりしているようです。

Jul 122018

パソコンをお持ちであれば、描画機能を持つソフトを使ってパソコン上でアクセスマップを作ってみるというのもよいのではないでしょうか。 パソコンを使ってデジタルで製図する場合、使用するソフトや手順にもよりますが、手描きよりもはるかに簡単に微調整したり変更を加えたりしやすいというのがメリットです。 パソコンでのデザインに慣れていけば、手描きよりも早く製図できるようになるほか、習得した技術をアクセスマップ以外のデザインを作成するのにも活かすことができるかもしれません。 使用するソフトは、Wordなどの文書作成ソフトで描画機能がついているものでも、絵を描くのに特化したものでも、好きなものを選びましょう。 パソコンによっては最初からこういったソフトがインストールされているものもあったり、フリーソフトでイラストが作れるようなソフトも多数あります。 ソフトを決めたら、いよいよアクセスマップの作成です。 下描きまでの手順は、初級編(手描きの場合)と同様となっています。 パソコンでの製図に慣れていない方の場合、下描きまでは手書きで行い、地図に描きこむ内容がある程度固まってからパソコンでの作業を始める、という方法もありかもしれません。 デザイン初心者の場合、ほとんどすべての描画ソフトに入っている「図形描画機能」を活かすのがよいでしょう。 自分がアクセスマップに入れたい情報に基づいて、ソフト上で簡単に描ける円・線・四角などを組み合わせて地図を描いていきます。 電車が走る線路は点線にするなど、よく使われる地図と似たような形式で描くことで、地図が分かりやすくなるかもしれません。 パソコンの描画ソフトなら、各図形や文字の大きさを簡単に変えたり、違う図形に差し替えたり、場所を移動させたりが簡単にできます。 位置や大きさなどを調整しつつ、見やすいアクセスマップになるよう作り上げていきましょう。

Jun 222018

新しい検地と、新しい年貢

畿内近国を中心とした幕府の領地にて、延宝期に実施された検地を「延宝検地」と呼んでいると言われています。これは、田んぼや畑、また、屋敷の土地の測量だけでなく、山、野、また、そのほかの土地において、将来的な開発の可能性のある場所をも対象にして実施されたものであるとされ、その検地の結果は、土地の台帳とされている「検地帳」に明記され、村で保管されることとなっていたようです。先に挙げた山論の論所も、この検地帳に測量結果が記されていたとされています。この「検地帳」には、のちに「追記」されたものがあることが確認できるようで、その内容は、小物成地の中で、小物成山に対してだけ課された年貢の定米の増額を命じたものであったとされています。畑村のケースをみると、測量結果に相当するように、大体の年貢額は評価分に値することが分かっているようです。つまり、様々な土地活用が想定される小物成地の中でも、この場合小物成山だけを対象として増税されたということが言えるのではないでしょうか。これは、先に例に挙げた天明期の山論において、畑村側が山の歴史として記す内容に一致していると言えるでしょう。そこで注目すべきなのは、そのプロセスであり「分検絵図」と検地帳への追記を村に命じたという事実が記されていることではないでしょうか。ここで挙げられた延宝期の検地帳を畑村以外で見てみましょう。これまでの調査範囲内とされているが、検地帳への「追記」という共通した事実を確認できたと言えるでしょう。小物成山の開発耕地へ課された年貢は、新開拓地であったために、見取によるものとして設定させられたと言われているそうです。  

May 222018

日本の地図の歴史

日本では「田図(でんず)」とよばれる、大化の改新(645年)で土地の測量を行なった時の田や国有地を記したものが、最古の地図として確認されているものになりますが、現存していません。現存するもので最も古いのは、奈良時代の751年の東大寺領荘園の開発状況を描いた「東大寺領近江国水沼村墾田図」です。平安時代に全国を行脚して見聞を広めていた僧侶行基による「行基図」が、墨で書かれました。行基本人によるもではないといわれてます。測量データに基づくものではなく、絵地図ですが、蝦夷や琉球を除く、現在の日本列島の姿に近い形が描かれています。各国の位置関係が分り、江戸時代初期に至るまで重用されました。 1745年に生まれの伊能忠敬は農家に苦境に理解を示す地主でありましたが49歳で家業を譲り、西洋から輸入された天文学と暦学を勉強しました。忠敬は地球、世界の大きさに関心をもちました。忠敬が初めて測量と天体観測に蝦夷地に出発したのは55歳の時です。息子、弟子2人、下男2人、測量器具を運ぶ人足3人、それに馬2頭とともに蝦夷地へと向かいました。測量は一定の歩幅(70cm)になるような歩き方を訓練し、複数の人間が同じ場所を歩いた歩数の平均値から距離を計算していくという方法で、毎日40kmを移動しつづけました。蝦夷地滞在は117日間にも及び、測量データをもとに地図を完成させたそうです。第二次測量は230日かけて伊豆から太平洋側北端の尻屋崎までの東日本太平洋側の測量です。このときは歩幅で測るのではなく、一間(約180cm)ごとに印を付けた縄(間縄=けんなわ)を使い測量しました。その後も日本全国計17年に測量は続きました。忠敬は弟子の間宮林蔵の蝦夷地の調査のデータを引き継ぎ、伊豆七島以外の測量を終え73歳で没します。死去の3年後、忠敬のデータに基づき、1821年「大日本沿海輿地全図」が完成します。「伊能図」とも呼ばれ、ほぼ正確な形で日本列島が把握できたことになります。ただ土地の高低の測定されていません。