大航海時代と地図

ヨーロッパでも12世紀ころから、聖地エルサレムを巡る十字軍の遠征などもあってイスラム世界との接触も増え、地中海での貿易が盛んになってきました。イスラム世界で盛んだった、古代のギリシアの数学的な知も復権し、海図の作成が求められました。ヨーロッパ世界は、地中海、シルクロードなど東方への視野を拡げて行きました。マルコ・ポーロの『東方見聞録』は13世紀後半。日本も黄金の国(ジパング)として紹介されていますが、中国での伝聞によるものです。しかしじつはマルコが中国に行ったかどうかも定かではありません。イスラム世界からはイブン・バットゥータが40年近くにも及ぶさらにユーラシア大陸広域に渡る東方世界の見聞を残します。中国では10世紀頃から羅針盤(コンパス)が使われていたといいます。それらの交流が東方貿易とともにヨーロッパに伝わり、測量に基づいて正確な地形を目指した地図が作られるようになりました。2世紀にギリシアのプトレマイオスによって試みられていた地理学が1000年以上を経て西ヨーロッパ世界で再発見されますがl、地球の円周を誤って計算されていたため、アジアの東の端が50度ほど東になっていました(現在のアメリカ大陸に近い)。このことは後の大航海時代の冒険に大きく影響をもたらしました。彼らはスペインやポルトガルから大西洋側、西航路を選んだのです。コロンブスはアメリカ大陸をインドであると思い、マゼランは、そのおかげで遠回りをし太平洋を発見し、フィリピンで客死します。マゼランの死後、一団は航路を引き返すことなくスペインに戻ったので、地球が丸いことの実証明がなされました。このように大航海時代の地図は大陸の形にしてもまだ不正確で、地球の全体像を把握するにはメルカトルらの地図をまたなくてはなりません。