地図の歴史 世界地図を中心に 

地図は、文字よりも古くから人類に使われていたと考えられます。世界や日本でもアイヌなど移動し続ける遊牧の狩猟民族の人々も世界にはいまよりも多くいました。彼らもまた地図のようなものやそのかわりの目印をもっていたといいますが、彼らの多くは文字を持たず、口々で伝え合って生活し、文化、歴史を受け継いできました。彼らは、道なき道を、草の状態をみたり、ときには木に傷をつけたりして、目印にして移動を続けて元の場所にも正確に戻れたと言います。国家や領土という概念も持たず、自然と闘うだjけでなく共生して暮らしています。目の前の利害関係で闘うことはあっても、必要以上の貯蓄をしなかった彼らは、欲望から他の人間たちの土地を領土とすることもなく、文字で書き留めたりしはしませんでした。彼らの頭の中には、どんな森や草原の見取り図があったのでしょうか。頭の中や誰の領土でもない空の星座や森や草原の目印をたよりに、五感の地図を頭に描きながら生活してきたのです。

さて地球は丸いということが、科学的に証明された15世紀以前、あるいはそれが常識ではなかった地域や、時代ではどんな地図がつくられていたのでしょうか。また、視野を拡げ地球、世界を全体像として捉えようとした場合、丸い地球を平面で表す必要がありますが、日常的に用いるもっと狭い地域を表す場合はその苦労は軽減されます。現在は多くの人々は自らが、この丸い地球のどこか一点にいま自分がいるのだということを認識出来ますが、むかしの人々は、そのような認識はなかったといいます。近代以降は、家族や地域の共同体よりも上位概念として、ある国家の中で国民として暮らしているという認識も当たり前になっています。ですから世界地図の多くは国境線がひかれています。しかし以前はそのような視点を持つ必要もなく狭い範囲で暮らしていたはずです。自分が暮らしている場所が、世界や国のどの位置にあるのかということを知る必要が、それほどなかったとのだといえます。日本では、江戸時代の幕藩制以前は、以後に比べると移動がもう少し自由だったといわれていますが、幕藩制が敷かれたことにより藩を超える移動は関所を通らねばならず、国の中の移動すら制限されていました。一方で、参勤交代などで義務づけられた移動のために、街道が整えられ、その周辺に宿場町が形成されました。市井のの人々も、移動を制限されながらも。やがて、生涯に一度のお伊勢参りや、札所巡りなどを通じ、すこしずつ視野が外に広がっていったといいます。中央集権的な国の統治、管理の必要性からも、国土として調査、管理が必要になってきます。そのような背景で日本でも江戸時代になると。国土測量調査と地図の作成がだんだんと必要になってきたのでした。